喪失と再生と膾炙と戯言

yeup2005-02-06

 喪失と再生とがぜんざいのように混在する一年で一番奇妙な胸騒ぎを覚える節分と言う関所をどうやら鬼の目をかいくぐって通り抜けることができたのだけれど、そのためにわたしは親知らずを30分かけて抜くという大きな犠牲をはらい、水曜日からこっちと言うものちょっぴりいつものガッツがない。こういうのってなんだか逆説的に自分の中の野生をかんじてしまう。歯を失って生き物として弱ってる野性のわたし。それでも節分の丸かぶり寿司恵方をがんと睨みつつ無言でもぐもぐと一気に食べ切ってしまったのはどうしたって叶えたい願い事があったからなんだけれど、なんだかわたしって野良犬的に逞しいわんわん。ちょっぴりガッツがないくらいで世間的にはちょうどいいのかも。

 暇な上にやる気も起きない先週節分木曜日。机の上に置きっ放し打ち捨てられた可愛そうなDM系FAXを読みたくもないけど暇つぶしに読んでみる。何?この言葉どんな意味?・・・膾炙(かいしゃ)・・・かなりの人が読めないのを見越して括弧がきで振り仮名つき。辞書で調べてはじめて知る無知なわたし。それにしたって膾炙なんて言葉自体人口に膾炙していないんじゃないのかな。言葉は言葉でそれ自体罪のないものだけれど、時として使うがわの心構えのせいで随分いやらしい矜持を背負わされてしまうみたい。膾炙、戯言、駄文。そういう文字を見つけるとわたしは思わず目と一緒にウインドウも閉じてしまうのです。すみません。