とにかくの神様

yeup2005-04-09

 桜の木のしたにピクニックマットをくっつけてひろげて少年剣士とそのお母さんたちと花見をする。不思議なことにこの公園の一角はむかしむかしは動物園だった。トラだとかぺんぎんだとか、ニシキヘビだとか、おサルの電車だとか。動物園が郊外に移転してしまった後も何年間か、なぜか公園の真ん中に噴水池とペンギンたちだけが取り残されていたっけ。冬の寒い日も夏の暑い日もペンギンたちは哲学的瞑想にふけるかのごとくただ起立したまま虚空を見上げていた。その物悲しい風景ですら恐いものひとつない10代のころのわたしたちにとっては物笑いの種でしかなかったのだけれど。なによりペンギンたちは瞑想にふけり立ち尽くした哲学者のままの顔で糞尿を垂れ流していた。今となって思えば糞尿だって別に彼らが哲学者たるのを邪魔はしない。糞尿は誰の尊厳もおかさない。今となってみれば。
 楽しそうに駆け回って遊ぶあの子の姿を目で追いながらおしゃべりをする。どの子が誰の子かなんて関係なくみんな互いのお菓子を食べあい飲み物を飲みあう。「こんなにはしゃぎまわっちゃって今日の夜の稽古大丈夫かな?」みんなでそう言いながら笑う。
「ほら、あの木、トトロが座っていそう」そういう声に指差す先を見るとそこにはたくさんの寄生植物を幹にも枝にもいっぱいにまとった大きな木。この公園にはそんな木が数え切れないほどある。そう言えばトトロはほんの少しペンギンに似ているみたい。
「ほんとに綺麗だね。でももうきっとこの週末でおしまいだよね」
 桜はこんなにも綺麗なものだったんだっけ。毎年毎年そう不思議に思う。綺麗さは決して正確さをもって心に刻み込まれることがなくいつでも不意をうつ。
 
帰りの車の中幸せそうにくたくたと眠り込んでしまったあの子のおでこに手をかざし、きっといつでもこの子が幸せでありますようにと、とにかくの神様にお願いをする。とにかく。信号が青になる。