クロイツェルソナタと月光

 25歳くらいの頃、トルストイのクロイツェルソナタを読んでそれでベートーベンのクロイツェルソナタをどうしても聴いてみたくてたまらなくなって、全然クラッシックになんて縁もなかったわたしは、仕事がらみの知り合いだった4.5頭身の近未来型ロボットみたいな感じをした風変わりで、ひどく頭のよさそうな航空機の設計の仕事をしている男の子に「わたしクロイツェルソナタが聴きたいの」ってそう言ったらクロイツェルソナタをテープに録音して持ってきてくれたのはいいんだけどそのあとも次から次へと自分のお勧めのクラッシック音楽をテープに吹き込んでは持ってきてくれるからちょっと参ってしまったんだっけ。
 そうしてわたしは望みどおりクロイツェルソナタを聴くことができたんだけど、トルストイが言うほどクロイツェルソナタはわたしの頭をおかしくはしなくて、それで少し失望したわたしは一緒に貰った月光をついでみたいにして聴いたんだけど正直こっちのほうがずっと人をおかしな気持ちにさせる音楽のような気がして驚いた。だってこの曲は人の脳みそのどこか決して触れてはいけないような部分にひたひたとしみこむように訴えかけ、そうしてなかなか消えない震えと痕跡を残していくみたいだったし、その音は黄色がかった銀色の毒蛾の粉、というかそういう密かな少しずつきいて効果をあらわしてゆく綺麗な毒のように思えたから。
 小学生の頃読んだベートーベンの伝記をふと思い出す。子供向けに書かれたその本でさえベートーベンの気難しさと激しさはちゃんと伝わってくるようで、ああそういえば雷にあったベートーベンがその後に作曲したって言うのは何の曲だったんだろう。耳が聞こえなくなってしまうってことがどんなふうなものなのか、ぴかぴかしたまだそんなに長くは使ってない新しい体で毎日を生きていた小学生のわたしにはうまく理解できなかった。
 久しぶりにクロイツェルソナタと月光を聴いてみたいけど、あの時貰ったテープももうないし4.5頭身の男の子ともその後付き合いもない。