モッコウバラ

 庭のモッコウバラが随分とたくさんの黄色な花をつけ、垣根になっている樫木のあいまあいまに重そうな枝を長くしならせているのに今更のように気づいたのは昨夜のことだった。ここ数日花が咲いていることをなんとはなしに気づいてはいたのだけれど、それを明確に“モッコウバラの黄色い花”として名称色彩形状ともに認識したのは昨夜が初めてだった。カーテンの隙間からもれる橙の灯かりを受けたその黄色い花は、なんだか昼間見るより随分綺麗で艶かしく、宵闇の中に光る鮮やかな色彩のなせる技か、そのふんわり浮き上がる輪郭で周りのすべてのものと一線を画すかのように厳然としてそこにあった。そこに神様がいる。ほんの時折だけれど理屈じゃなくそう直感させるような自然がこの世の中にはある。モッコウバラの花の黄色はそう思わせるに十分な何かをもっているようだった。 
 神様少しおすそ分けしていただいていいでしょうか。心の中でそう断りをいれながら手頃な枝先を何本か切って花瓶に活ける。

 モッコウバラや野の雀でさえ神様に守られているのだから人間ならなおのこと・・・似たような話が聖書の中にあったな。だけど少しだけ人間の方が神様から遠い。花を見ていてそう思う。