千と千尋の神隠し

 夾竹桃はこんなにも綺麗な花だったんだろうかと、白と千尋の歩く径の両脇に高く生い茂げ咲き誇る色とりどりの夾竹桃の花を見るといつもなぜだか少し悲しいような泣きたいような気持ちになってしまうのだけれどそれを誰かにうまく説明しようとして色々考えたところで、どうしたってその説明のことばでさえも何かわたしの原体験に基づいたものから生まれているのに違いなく、それを共有しない誰かにこの心持を正確に伝えることなど到底無理なのに違いないんだ。それでも少し考える。そう、ちょうど夕暮れ時の子供みたいに小さく足を蹴る心細いやるせない感覚、握り締めようとする何もかもが頼りなげに細く細くなっていく夢みたい。綺麗なものを見るといつだってもう駄目になってしまった取り返しの付かないものを思い出す。それは大抵自分の中。
 エンドウの螺旋にまわった蔓の先赤紫色の花。わんわん声をあげぽろぽろ泪を流しながら食べ物をむさぼり食った経験のある人しかわたしはきっと信頼しない。押し殺し死んでいた心がほおばった白結びに生き返り感情がとめどなく溢れ、そうしてきっと心が生き返る。もう一度生き返り新たにより強く生きなおすための、それは儀式。
 食べることが生きることにただ素直に繋がる。


 映画館の暗闇で初めてわたしの膝に抱かれて見た映画を今またテレビで見ながら「ほら、このときお父さんとお母さんは姿は人間だけど、もう少し豚の意思になっちゃってるんだよ」画面を指差しながら言うあの子が愛しい。